カイコを育てている時、いつも「かわいいなあ」と思います。養蚕をする方たちも「カイコはかわいいから養蚕を続けてきた」と話してくださいます。
カイコは5000年もの長きにわたって、人にシルクを贈り続けてきました。
そのシルク蛋白質が、私たちに与えてくれる素晴らしい特質を失わないために、養蚕が続けられる、新しい需要を持つ絹産業を構築する必要性があることを、多くの方々に知って頂きたいと思っています。
養蚕業が急激に減っていく今、地域活動として幼稚園、保育園、小・中学校、老人福祉施設などで、カイコを飼育する活動をしている団体などを取材し、団塊の世代の人々による地域興しなどに、新しい養蚕業が拡がっていくことの一助となるよう提案したいと思います。
カイコは数千年にわたり人々に飼育・改良されてきた生き物です。
そのため、世界中の山野を探してもいません。どこの国でも、カイコの卵や幼虫は、養蚕をしている人から分けてもらう以外、手に入れる方法はありません。
カイコという昆虫は、飼育する人がいなくなれば絶滅します。
イタリアとフランスは、世界をリードする織物と染色技術を持つ養蚕国でしたが、現在は輸入したマユや生糸を使って絹産業が成り立っています。
日本は明治期にフランスの技術を導入して生産した生糸を輸出する事で、国力を増進させた国ですが、その後合成繊維の代替により国際的な市場性を失い、現在では養蚕農家も激減し最盛期の1%程度の繭が生産されています。
現在では、中国、インド、ブラジルなどが養蚕国の上位に上がっていますが、衰退の途ではあります。
富岡製糸場が世界遺産に登録され、国宝にも指定された今、「5000年、いやそれ以上」とも言われる絹の歴史を見つめ直し、絹について考える時ではないかと思っています。
このページでは、絹について新しい活動を始めた地域などの情報を発信して行きます。
カイコは野外では生きられない、昆虫の家畜として人の手で大切に育てられてきた生き物として、「家蚕」と呼ばれます。
家蚕に対して野生のシルクワームを「野蚕」と呼びます。
エリサンは、ヤママユガ科のシンジュサンを家畜化したものですが、カイコのようにずっと同じところにいるわけではないので、平らに絹を吐いてもらうのはとても難しいのです。そしてカイコと大きく違うのは成虫の翅が大きいことと、水を飲むところです。
私たちもそうだったのですが、エリサンは羽化不全が多いので、水をあげなかったためではないかと思います。次回飼育のチャンスがありましたら水をあげて、翅の様子を見ます。
南方系の生活史を持つためか冬眠をしないので、一度飼育を始めると冬の間もずっと飼育しなければなりません。赤井先生のグループが開発された人工飼料を使われて、冬期も飼育を続ける方々がおられます。
私たちも赤井先生の指導を得て机上で飼育を続け、冬期飼育の難しさを経験しました。
昭和20年代の終わりころまで、東京都の23区内でも養蚕していたことを知っている方がいらっしゃったら、是非教えて下さい。
私が知っているのは世田谷区です。ある日友人のお祖母様が、これ見てごらんと蚕を飼っている部屋を見せてくれました。まだ学校に上がる前で、多分とっても驚いたのだと思います。夕ご飯の時に父に話して、父が絹の話をしてくれたことをうっすら覚えています。その後杉並までマユを運ぶオート3輪の荷台に、近所の子どもたちが乗って行く中に私も混ぜてもらって、帰りにキャラメルを買ってもらいました。しかしその翌年には、田んぼに強い農薬が撒かれるようになり、田んぼ回りの傾斜地にあった桑畑の葉は使えなくなったのだろうと今は思います。その翌年その後も2度とマユ運びのオート3輪は走りませんでした。
その内、都営住宅とか様々な開発で23区内の田んぼが無くなり、いつの間にか麦畑もなくなり、今では都下の地域でも田んぼや畑は極僅かですが、絹のことを覚えておられる方が、たくさんおられることを、『絹大好き 快適・健康・きれい』の取材で知りました。
またご出身が絹の産地の方もたくさんあって、現状についてお話を伺うこともあります。
このページでは養蚕の現状や、新しい養蚕について考えておられる方々をご紹介していきたいと思います。